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例えば道端に、みずぼらしい枯れかけた、あるいは枯れた花があったとする。
そのみすぼらしい枯れかけた、あるいは枯れた花(以下被写体と表記)に対し、
どのようなアプローチを取るか。


強めのコントラストで彩度を下げアンダー気味に撮る。
意味有り気な空気を醸し出し、
被写体に迫る重々しい死の足音を感じさせる人もいるだろう。

あくまでもニュートラルに、在るがままを捉える人もいるだろう。

逆に、あえてポップな色で彩りを添えたり、
コントラスト弱めのハイキーで撮って、
その被写体が辿ってきた生を表現する人もいるかも知れない。


マクロ撮影で出来る限りのクローズアップをして、
様々な角度から精緻な記録を撮る事も出来る。

望遠でその被写体だけを周囲から浮き上がらせる事も、
広角でその被写体を風景のほんの一部にしてしまう事も出来る。


そして何より、撮らない事だって出来る。
気づかない人だってあるだろう。
そこに解は無い。


こんな事を帰りの電車内でとりとめもなく考えていたら、
ふと被写体とアプローチの関係は、
人の一生と個人の価値観に言い換える事が出来るのではないか。
なんとなく、そんな事を思った。

恐らく人の一生にも、被写体(先ほどの意味ではなく、一般的な意味で)にも、
たったひとつまみほどの意味すらも無いのだと思う。
それをどのようにして「意味があったことにする」のか。

切り取り方次第で、
個人の価値観次第で、
この世界に「在る」ものは全てそのかたちを変えてゆく。



きっと人生も、写真も、
およそ世の中のありとあらゆるものには、
自分の思った通りの意味を自由に付加する事が出来る。

だから、とても愉しい。

そして同様に、
恐らくその全ては本質的に意味が無いものなのだ。

だから、すこし哀しい。

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